【連載小説】今日も女子校は平常運転

A Girls' School Comedy: Girls and Mistress, and Days

2-029 載せない方がいい場所

#129

上等部散策計画、三日目。

前日までとは違い、この日は六人全員でまとまって行動することになった。
目的地は、上等部区画のさらに奥。学生が普段の授業で立ち入ることはほとんどない、研究施設の集まる一帯である。

校舎の案内図には、無機材料研究棟、生命環境研究棟、先端計測センター、共同実験棟など、名前だけでは何をしているのかよくわからない建物が並んでいた。

せいら「同じ学校の中なのに、空気まで違わない?」
みう「建物が、ぜんぶ静かですぅ……」
りりあ「秘密の研究をしてるのぉ〜?」
玲音「秘密の研究を案内板に書くことはないと思います」

あおいは端末の地図と、目の前の道路を交互に見た。

あおい「道はまっすぐなのに、建物の名前が難しかけん、もう迷いそうです……」
ひばり「昨日、ウチらだけ怒られたのに、今日は全員が迷子予備軍ッス」
せいら「自覚はあるのね」

研究施設周辺は、人通りこそ少なかったものの、散策用の道はきれいに整備されていた。
建物と建物の間には小さな緑地があり、研究成果を紹介するプレートや、用途のわからない金属製のモニュメントが置かれている。

玲音は案内表示を撮影し、みうは屋根のあるベンチを見つけ、せいらは無機質な壁面を背景に写真を撮る場所を探した。
ひばりは「ここ、白衣で歩いたら頭よさそうに見えるッス」と、研究とは関係のない情報を記録していた。

一方、あおいとりりあは、共同実験棟の前で足を止めた。

透明なケースの中に、青紫色の光を返す大きな結晶のようなものが展示されていた。
角度を変えるたびに、内部で細かな虹色が揺れる。

りりあ「きらきらなのぉ〜♡」
あおい「きれいですねぇ。これ、自然にできた石ですかね?」
りりあ「宝石かもしれないのぉ〜。売ったら、おやつ何個買えるかなぁ〜?」
あおい「学校の展示物を売ったらいかんですよ」
りりあ「半分だけなら?」
あおい「半分でもいかんです」

ケース脇の説明文には、人工結晶、結晶成長、光学特性といった文字が並んでいた。

あおい「人工ってことは、ここで育てたとですかね。石も育つんですねぇ」
りりあ「毎日お水あげるのぉ〜?」
あおい「畑と同じ育て方ではなかと思いますけど……」

二人は説明文を上から下まで読み、反対側から光を当てて眺め、ケースの裏に回り込んだ。

そして、満足して顔を上げた。

誰もいなかった。

あおい「……りりあ先輩!」
りりあ「ん〜?」
あおい「みんなおらんとです!」
りりあ「よくあることなのぉ〜」
あおい「よくあるとですか!?」

りりあはまったく慌てず、右と左を見比べた。

りりあ「たぶん、こっちなのぉ〜」
あおい「根拠はあるとですか?」
りりあ「みんなが行きそうな感じがするのぉ〜」

あおい(りりあ先輩と一緒なの……逆に不安になってきたったい……)

しかし、ここで立ち止まっていても仕方がない。
あおいは端末を取り出したが、研究棟の間は建物名が多すぎて、自分たちがどの通路にいるのか判別しにくかった。

その間に、りりあは自信満々で歩き始めていた。

あおい「あっ、待ってください!」

最初の角を右。
次の分岐を左。
細い渡り廊下の下を抜けて、なぜか搬入口の前へ出た。

あおい「絶対、学生が散策する道やなかですよね?」
りりあ「近道なのぉ〜」
あおい「どこへのですか!?」

さらに進むと、さっき見たはずの青紫色の結晶が、もう一度目の前に現れた。

りりあ「戻ってきたのぉ〜♡」
あおい「一周しただけです!」

二人が二周目へ入りかけたところで、遠くからせいらの声が響いた。

せいら「あおいーっ! りりあーっ!」

振り返ると、玲音、ひばり、せいら、みうが、二方向から挟み込むように走ってきていた。

みう「見つかって、よかったですぅ〜……」
ひばり「研究施設で遭難者が出るとは思わなかったッス」
せいら「二人とも、なんで元の場所に戻ってんのよ!」
りりあ「りりあナビが、一周したのぉ〜」
あおい「途中から止められんかったとです……」

玲音は安堵の息をついたあと、二人を静かに見た。

玲音「このあたりは誰も土地勘がないんですから、気をつけてください」
ひばり「校内で土地勘って言葉使うことある?」

予定は二十分ほど超過した。
それでも、屋根付き休憩所、静かな緑地、写真映えする研究棟の壁、一般学生も見学できる展示、雨天時に使えそうな連絡通路と、この日のノルマ五箇所はなんとか達成した。

ただし、結晶展示の横には、玲音によって新たな注意書きが加えられた。

『見学中にはぐれないこと』


四日目と五日目は、自転車での調査になった。

上等部区画には第一から第四まで四つのグラウンドがあり、それぞれが三種目ほどの競技に対応している。
第一グラウンドは体育の授業で使うことがあるため見覚えがあったが、その先は六人全員にとって完全な未踏の地だった。

校内貸出用の自転車を借り、四日目は二班に分かれる。
玲音、りりあ、ひばりの班。
せいら、みう、あおいの班。

前日の反省から、玲音とせいらがそれぞれ班長になり、出発前にマップアプリへ巡回ルートを設定した。

せいら「今日は勝手に曲がらない! 気になるものがあっても、まず班長に言う! いいわね!」
あおい「はい。昨日はすみませんでした……」
みう「わたしも、眠くなっても止まりません〜」
せいら「そこも心配してたけど、今日は自転車だから寝ないでよ!?」

反対側では、玲音がりりあの端末にも同じルートを表示させていた。

玲音「分岐では必ず私が先頭になります。りりあさんは中央、ひばりは最後尾をお願いします」
ひばり「完璧な迷子包囲網ッス」
りりあ「りりあナビ、今日はお休みなのぉ〜」
玲音「永久休業でも構いません」

二班は時間をずらして出発した。

第二グラウンドを過ぎるころには、校舎の密集した景色が遠ざかり、道の両側に木々が増えた。
風が制服の袖を抜け、髪を後ろへ流していく。

ひばり「うおーっ! 校内なのにサイクリングロードみたいッス!」
りりあ「風がきもちいいのぉ〜♡」
玲音「速度を上げすぎないでください。次の曲がり角を右です」

もう一方の班でも、せいらが先頭で髪をなびかせ、みうとあおいが続いていた。

あおい「この道、よかですねぇ。木陰がずっと続いとります」
みう「春と秋は、お弁当を持って走りたいですぅ〜」
せいら「いいじゃない。地図には休憩できる場所も入れておきましょ!」

第三、第四グラウンドは、それぞれ競技用の設備が違い、外周には観戦用の土手や小さな休憩所もあった。
二班とも迷うことなく予定のルートを走り、写真とメモを十分に集めて帰還した。

前日の迷子騒動が嘘のような、あまりにも順調な一日だった。

ひばり「ルートガイド、文明の勝利ッスね」
玲音「文明というより、事前準備の勝利です」
せいら「あたしの引率も完璧だったでしょ!」
あおい「はい。風も気持ちよくて、楽しかったです」

誰も転ばず、誰も眠らず、誰も消えなかった。
それだけで全員に達成感があった。


五日目。

最後は六人全員で、上等部区画の最外縁を一周する。

前日よりも距離が長いため、途中で何度か休憩を挟みながら、外周道路をゆっくり進んだ。
校舎は次第に遠くなり、フェンスの向こうには林や、学園所有の管理地らしい空き地が続いている。

あおい「ここまで来ると、学校の中って感じがせんですね」
ひばり「もはや県境ッス」
玲音「上等部区画の外縁です」
せいら「わかってるわよ。気分の話でしょ!」

外周の半分ほどを過ぎたところで、ひばりが急にブレーキをかけた。

ひばり「……待って」

全員が止まる。

少し先に、使われていない倉庫のような建物があった。
その裏手、道路からは植え込みで半分隠れたコンクリート壁のそばに、二人の学生が立っている。

一人が壁に背をつけ、もう一人がすぐ目の前にいた。
距離が近い。
あまりにも近い。

せいら「……あれ、何してるの?」
玲音「見てはいけない場面の可能性があります……!」
りりあ「お顔がくっつきそうなのぉ〜」
みう「ほんとですぅ……」

六人は自転車を押し、なるべく音を立てないように植え込みの陰を進んだ。

そのとき。

ひばり「ちゅーした!」
せいら「声! 声が大きい!」
あおい「ちゅーしましたね……!」
みう「これ以上は見ない方がいいですぅ……!」

そう言いながら、誰も視線を外さなかった。

壁際の二人は周囲に気づかず、さらに距離を詰める。
次の瞬間、一人が相手の横へ腕をついた。

ひばり「壁ドンきたッス!」
せいら「学校でそんなことまで……!」
りりあ「少女漫画なのぉ〜♡」
あおい「尊か……!」

玲音は撤退を指示するはずだった。
しかし、口を少し開いたまま、完全に見入っていた。

みう「玲音ちゃん……?」
玲音「……状況確認中です」
ひばり「何の状況ッスか」

ようやく理性を取り戻した六人は、その場を離れた。

玲音「偶然見えてしまっただけです。これ以上の観察は、散策計画の目的から外れます」
せいら「そ、そうよ! 別に気になってないし!」
ひばり「帰りもここ通るルートッスけどね」

全員が一瞬、黙った。


外周を一周し、帰路についたころには、夕方の光が建物の影を長く伸ばしていた。

例の倉庫裏が近づく。

ひばり「もういないッスよね?」
せいら「いるわけないでしょ。あれから結構経ってるんだから」
あおい「念のため、静かに通った方がよかですね」

植え込みの隙間から、倉庫裏を確認する。

ぱっと見、誰もいなかった。

みう「帰ったみたいですぅ〜」
りりあ「……下にいるのぉ〜!」

全員の視線が、少しずつ下がった。

コンクリートの上に、二人とも横になっていた。

ひばり「まだいた!!」
せいら「事態が進展……いや、悪化してる!」
みう「コンクリート、冷たそうですぅ……」
玲音「もう完全に見てはいけない段階です。撤退しましょう」

そう言った玲音自身が、動かなかった。

二人は寄り添い、片方の上着は少し乱れている。
もう一人の手が、相手のスカートの裾へ入りかけた。

せいら「服……ちょっと、スカートの中に手が!」
ひばり「実況しちゃってるッス!」
あおい「尊かぁ〜……!」
みう「尊いで済ませていい場面でしょうかぁ……」
りりあ「続きが気になるのぉ〜」
玲音「気にしてはいけません」
ひばり「玲音、目ぇそらしてないッスよ」

最終的に六人は、見てはいけないと言い続けながら、最後までしっかり見学した。

その結果、部室へ戻った時刻は予定を大幅に過ぎていた。


机の上には、五日間で集めた大量の写真とメモが並んでいた。

便利な休憩所。
静かな庭。
写真映えする壁。
雨の日に使える通路。
自転車で走ると気持ちのいい外周路。

そして、倉庫裏。

ひばり「ここ、地図に載せたら人気スポットになる可能性あるッスよ」
せいら「絶対ダメでしょ! あの二人のためにも、ほかのカップルのためにも!」
みう「静かに過ごせる場所では、ありますけどぉ……」
りりあ「デート向けなのぉ〜♡」
あおい「うち、見つけても誰にも言わん場所があるって、よかと思います」

玲音はしばらく考えたあと、倉庫裏の写真を未掲載フォルダへ移した。

玲音「マップには、載せない方がいいこともあります」

全員が深く頷いた。

五日間の散策で見つけた、もっとも秘密にすべき場所。

そこだけは、六人の記憶の中に、やけに鮮明なまま保存された。

2-028 5つのうち、ひとつ

#128

上等部散策計画、初日。

前回の会議で、上等部区画だけに範囲を絞ったおそと部は、まず日常的に使う施設と、その周辺から調査を始めることにした。

いきなり隠れスポットを探すのではない。
先に基準となる場所を覚えなければ、隠れているのか、ただ迷っただけなのか分からないからである。

玲音「本日は、あおいさんへの施設案内も兼ねて、全員で主要地点を回ります。細かな調査は明日からです」
ひばり「つまり今日は観光ツアーッスね!」
せいら「自分たちの学校を観光するって、どういうことよ」
みう「でもぉ、わたしも行ったことない場所、まだいっぱいありますぅ〜」
りりあ「りりあもぉ〜♡」
玲音「皆さんは二年目です」

玲音の静かな指摘を受け流し、一行はまず普通教室棟へ向かった。


あおいが普段使っている第一教室棟。
ひばりたちも同じ棟を使っているため、ここだけは全員にとって馴染み深い。

あおい「まだ全然慣れてなかったから助かります! うちのHR、第一教室棟ってなっとったから、第二もあるんかなって思っとったっちゃけど……まさか第四まであるとは……」

少し離れた先に、ほとんど同じ外観の建物が三棟並んでいる。
遠目には、巨大な校舎が横方向に増殖しているようにしか見えなかった。

ひばり「第一が満員になったら第二が解放される方式じゃないッスよ」
せいら「ゲームのエリアみたいに言うな」
玲音「学年や選択科目によって使用棟が変わります。教室番号だけを見て移動すると、別棟の同じ番号へ行く事故が起きますので注意してください」
あおい「同じ番号があるとですか!?」
玲音「あります」
あおい「初見殺しすぎません……?」


次は特別教室棟。
こちらも三棟あるうちの一つで、今回案内する棟だけでも、調理室、音楽室、美術室、被服室、理科実験室などが並んでいる。

しかも、それぞれ二部屋ずつあった。

あおい「調理室が二つ……?」
玲音「第一調理室と第二調理室です」
あおい「音楽室も二つ……?」
玲音「第一音楽室と第二音楽室です」
あおい「美術室も……」
ひばり「察してほしいッス。だいたい二個あるッス」

廊下の案内板には、似たような部屋名が上下左右に並んでいた。

せいら「これ、急いでると絶対間違えるわよね」
みう「わたし、一回だけ第二音楽室に行くつもりで、第二調理室に入ったことありますぅ〜」
ひばり「どうやったら間違えるんスか!?」
みう「いい匂いがしたのでぇ〜」
玲音「目的地を匂いで決めないでください」


その後は、食堂を二箇所。

一つは定食中心で、昼休みには最も混雑する大型食堂。
もう一つは麺類と軽食中心で、回転が速く、授業間の短い時間でも使いやすい小型食堂だった。

あおい「食堂が八つあるって聞いた時は意味が分からんかったですけど、使い分けがあるとですね」
せいら「こっちは限定スイーツが強いのよ。覚えときなさい」
ひばり「施設案内で最初に教えることがそこッスか?」
せいら「重要でしょ!」
みう「重要ですぅ〜♡」


続いて中庭。

上等部区画に八箇所あるうち、最も近く、最も広い場所である。
大きな芝生と木陰、ベンチ、噴水、屋根付きの休憩所まであり、昼休みには学生が小さな公園のように使っていた。

りりあ「ここ、知ってるのぉ〜♡ お昼寝できるのぉ〜」
せいら「寝る前提で施設を見るな」
みう「木陰、気持ちいいですよぉ〜」
ひばり「みうっちまで下見の目になってるッス」

玲音は地図へ印をつけながら、ベンチの数、日陰の範囲、雨天時に使える場所を確認していく。
その横で、せいらは噴水と花壇が一緒に写る角度を探し、りりあは芝生の上を転がっていた。

調査初日から、すでに目的が分裂していた。


図書館では、閲覧席、個室ブース、飲食可能な休憩区画を確認した。

あおい「図書館も四つあるんですよね……?」
玲音「はい。こちらは上等部区画にあり、最も利用者が多い上等部中央図書館です」
ひばり「“中央”って付いたら一個しかない感じするッスけどね」
玲音「各区画に中央図書館があります」
ひばり「中央が乱立してるッス」

一通り案内を終えた頃には、まだ上等部区画のごく一部しか歩いていないのに、あおいのメモはすでに二ページ目へ入っていた。


そして最後。
六人は、十二階建ての本館へ向かった。

受付と事務部門、会議室、研究関連部署などが集まる、学園の中心施設である。
エレベーターで上へ進み、最上階で降りる。

廊下の奥には、理事長室へ続く重厚な扉。

ひばり「ここを通り過ぎるの、なんか悪いことしてる気分になるッス」
せいら「別に屋上へ行くだけでしょ。堂々としなさいよ」
りりあ「りじちょー、いるかなぁ〜?」
玲音「業務中です。覗かないでください」

全員、なぜか足音を小さくしながら理事長室の前を通過した。
その先の階段を上がり、屋上扉を開く。

風が、一気に制服のスカートを揺らした。

目の前には、上等部区画が広がっていた。

教室棟、特別教室棟、図書館、食堂、体育施設、部室群。
その間を道路と並木道がつなぎ、遠くには今日まだ近づいてすらいない建物が並ぶ。

そして、その先。

上等部区画の端と、さらに向こうにある隣の区画まで、はっきり見えてしまった。

玲音は地図を開き、屋上の手すり越しに、遠くを指した。

玲音「……あそこから……あそこまでが、今回の調査範囲ですね……」

指の始点と終点が、遠すぎた。

あおい「今回だけで、あの端まで行くとですか……?」
玲音「数日かけます。ですが、最終的には」
せいら「ゴールが分からないのも不安だけど、分かってしまうのも絶望感あるわね……」
ひばり「屋上、希望を見せる場所じゃなかったんスか……?」
みう「景色は、きれいですぅ〜……」
りりあ「あっちまで、ちっちゃいのぉ〜♡」
玲音「小さいのは、遠いからです」

初日の散策は、学校への理解と引き換えに、全員へ正確な絶望を与えて終了した。


二日目。

この日は三組に分かれ、隠れたおすすめスポットを探すことになった。
一組あたりのノルマは、五箇所。

玲音とあおいは、利用目的、混雑時間、雨天対応、写真の撮りやすさを確認しながら、堅実に進めた。

玲音「ここは昼休み直後だけ混みますが、五限開始前には空きます。待ち合わせ場所として有用ですね」
あおい「なるほど……。こっちの通路は近道に使えそうですけど、雨の日は滑りそうです」
玲音「よく気づきました。注意事項として記録しましょう」

玲音が全体を組み立て、あおいが現地で補足する。
二人は予定時間より少し早く、五箇所を完了した。

せいらとりりあも順調だった。

せいらは、光の入り方、背景の抜け、季節ごとの花、制服との相性を瞬時に見抜いた。

せいら「ここ! 午後の光なら絶対盛れるわ。ベンチの色も制服に合う!」
りりあ「でもぉ、こっちの階段の裏、きらきらしてるのぉ〜」
せいら「何がよ……って、なにここ!? 壁のガラスが反射して虹になってるじゃない!」
りりあ「ズキュンみなのぉ〜♡」

せいらのフォトジェニックスポットセンサーと、りりあの説明不能な直感。
理屈は違うが、結果だけは強かった。

二人も、バズりそうな五箇所をきっちり見つけて帰還した。

そして、みうとひばり。

二人は人通りの少ない細い通路を進み、建物の裏手へ出た。
そこには、小さな芝生と一本の大きな木、古い木製ベンチがあった。

周囲の建物から少し離れ、道路の音もほとんど届かない。
木陰は深く、風だけがゆっくり抜けていく。

みう「わぁ……ここ、すごく静かですぅ〜……」
ひばり「人も全然来ないッス。ガチの隠れ家、見つけたッスよ!」
みう「ベンチも広いですぅ……二人で座れますぅ〜」
ひばり「昼休みの避難所として百点ッスね。写真撮って、場所メモして……」

ひばりはベンチに座った。
みうも、その隣へ腰を下ろした。

風が吹いた。
木の葉が、さわさわと鳴った。

みう「……気持ちいいですぅ〜」
ひばり「ちょっとだけ休憩するッスか……まだ一箇所目ッスけど……」
みう「五分だけですぅ〜……」

それが、二人の最後の会話だった。


夕方。

部室には、調査を終えた四人と、連絡がつかなくなった二人を探し出した玲音が揃っていた。

ローテーブルの前では、ひばりとみうが正座している。

せいら「ノルマは何箇所だった?」
ひばり「……五箇所ッス」
せいら「見つけたのは?」
みう「……一箇所ですぅ……」
せいら「その一箇所で何時間寝たのよ!」
ひばり「時間は……覚えてないッス……」
みう「起きたらぁ……玲音ちゃんが立ってましたぁ……」
玲音「十八時四十分でした」
せいら「ほぼ活動時間全部じゃない!」

机の上には、二人が唯一撮影した一枚の写真。
木陰のベンチが、実に気持ちよさそうに写っている。

ひばり「でも、昼寝スポットとしての性能は実証できたッス……」
せいら「身をもって検証する必要ないのよ!」
みう「ぐっすりでしたぁ……」
せいら「反省しなさい!」

説教は続いた。

その少し後ろで、あおいはせいらの背中に隠れ、口元を押さえていた。
肩が小刻みに震えている。

ひばり「……あおい、笑ってるッスよね?」
あおい「わ、笑っとらんです……!」
ひばり「肩が完全に笑ってるッス!」
あおい「すみません……でも、一箇所目で寝るとは思わんかったけん……っ」
せいら「あおいは五箇所終わらせたんだから、堂々と笑っていいわよ!」
ひばり「公開処刑の許可が出ちゃったッス!」
みう「ベンチ、ほんとにおすすめですぅ〜……」
せいら「まだ言うか!」

こうして、三組で合計十五箇所の予定だった調査は、十一箇所で終了した。

ただし、みうとひばりが見つけた一箇所だけは、
誰よりも正確に「よく眠れる場所」として記録された。

2-027 ポンチョの中身はなんじゃろな

#127

上等部散策計画は、着実に進んでいた。

共有サイクルの利用申請。
立ち寄り地点の選定。
写真を撮る場所と、休憩を入れる場所。
玲音が引いたルート案には、すでに何度も赤ペンが入り、散策初日まであと数日となっている。

そんな中――今日は、年に四回だけの服装自由日だった。

あおいにとっては、入学して初めて迎える変わった学園行事である。

前日の夜。
寮の談話室では、いつものように全員がソファや床に散らばり、飲み物を片手にだらだらしていた。
りりあも今日は談話室に残っている。

あおい「服装自由日って、ほんとに何を着てもよかとですか?」

玲音「公序良俗と安全を損なわず、授業に支障がない範囲であれば、基本的には自由です」

せいら「その説明だと堅すぎるのよ。要するに、学校に私服で来ていい日!」

ひばり「だいたい全学生の半分くらいはガチ普段着っスけど、もう半分は勝負服っスね。ウチらはガチ勝負服っス!」

あおい「勝負……誰と戦うとですか……?」

ひばり「昨日までの自分ッス」

玲音「今、適当に作りましたね」

ひばり「バレたッス」

去年までの服装自由日では、五人でテーマを決めて暴走したこともあった。
玲音ひとりの乙女服が学園を焼け野原にしたこともある。

しかし今回は、あえて相談しない。
どんな服にするかは、あおいへのサプライズとして当日まで秘密にすることになっていた。

そこへ、みうが足元の紙袋から黒い布を次々と取り出した。

みう「明日はみなさん、私服の上にこれを着て寮門前集合ですぅ~」

広げられたのは、百円ショップで買ってきた黒いポンチョだった。
人数分、きっちり六枚ある。

ひばり「うおお! いいッスねコレ! これで隠して集合して、一人ずつお披露目ってことっスね!」

みう「そうですぅ~。せっかく秘密にするなら、最後まで見えないほうが楽しいかなぁってぇ~」

玲音「暑くないでしょうか……」

せいら「脱ぐときのハードル高すぎない!?」

りりあ「楽しそうなのぉ~!」

あおい「うわぁ……緊張するったい……」

その夜、六人は互いの服装を一切確認しないまま解散した。

ただし、ひばりの部屋からは深夜までドライヤーの音がし、せいらの部屋からは何度か「入らない!」という叫びが聞こえ、玲音の部屋だけが不自然なほど静かだった。


翌朝。

寮門前には、黒いポンチョを着た六人が並んでいた。
りりあが通学生なので、集合場所はここである。

朝の女子校に現れた黒装束の集団は、どう見ても服装自由日を楽しむ学生ではなかった。

ひばり「なんか……秘密結社の集会みたいになってるッスね」

せいら「あんたがフードかぶるからでしょ!」

玲音「全員そろいましたし、早めに始めましょう。すでに通行する学生の視線が集まっています」

始まる前から、中身がなんとなく予想できる者もいた。

ひばりは、顔面がすでに主張している。
まばたきだけで風が起きそうなつけまつげと、強烈なアイライン。
メガ盛りウィッグはフードに隠れているはずなのに、フードの頂点が妙に高かった。

あおいも、普段とは違う黒いアイラインが目元を囲んでいる。
しかも、ポンチョの下から見えているのは、以前部室へ初めて来た日に履いていた超厚底ブーツ。
ただでさえ高い身長が180センチを超え、腰回りは何かが詰まっているように正三角形へ膨らんでいた。

そして、りりあもなぜか高い。
いつもなら見上げているせいらを、わずかに上から見ていた。

せいら「りりあ、あんた何センチ盛ったのよ」

りりあ「まだ秘密なのぉ~♡」

玲音「秘密にする必要がある箇所でしょうか……」

ひばりが一歩前へ出て、司会者のように両手を広げる。

ひばり「それでは第一回、ポンチョの中身はなんじゃろな品評会! 開幕ッス!」

せいら「タイトルがダサい!」


最初は、言い出しっぺのひばりだった。

ひばり「トップバッター、いくッスよ!刮目せよ!」

黒いポンチョが、勢いよく宙へ舞う。

現れたのは、高層建築のようなメガ盛りウィッグ。
派手な刺繍のスカジャン。
ミニスカート。
大ぶりのアクセサリー。
そして、顔の面積より存在感のあるつけまつげ。

ひばり「完全武装、ひばり最終形態ッス!」

みう「わぁ~……お顔から元気が出ていますぅ~」

玲音「褒め方に困ったときの表現ですね」

せいら「顔はさっきから見えてたけど、全身になると圧が三倍ね……」

あおい「ひばり先輩、すごかです……。なんというか……遠くからでも絶対に見失わんですね」

ひばり「実用性まで評価されたッス!」


次は玲音だった。

玲音「私は、その……あまり期待値を上げないでください」

そう言いながら、ポンチョを静かに外す。

水色のチェック柄。
ふわりと広がるフリルスカート。
同じ生地の短いジャケットにも、襟や袖に細かなフリルが重なっている。
足元まできれいに合わせた、完全な乙女コーデだった。

普段の凛々しい玲音とは、何もかもが逆である。

あおい「…………」

玲音「あおいさん?」

あおいの目が点になった。
次の瞬間、その点がきらきらしたハートになった。

あおい「か、かわいか……玲音先輩、ものすごくかわいかです……!」

玲音「そ、そうですか……。ありがとうございます……」

玲音が恥ずかしそうに視線を伏せる。
その仕草まで完全に乙女だった。

ひばり「出たッス!玲音の羞恥込み完成型!」

せいら「だからその顔やめなさいよ!破壊力が上がるでしょ!」

玲音「私に言われましても……」


せいらは、ポンチョの前を押さえながら一歩出た。

せいら「先に言っとくけど、これは計算されたハズシなの。わかる人にはわかる上級コーデってやつよ!」

ポンチョを脱ぐ。

上品な色のフレアスカートに、きれいめのジャケット。
髪はいつも以上に整えたツインテール。
全体は完全なお嬢様コーデなのに、インナーだけが妙にカジュアルなプリントTシャツだった。

ただし、そのTシャツは胸元で限界まで引き伸ばされ、中央の絵柄が原形を失っている。

ひばり「はい問題ッス。この柄、元は何でしょう!」

りりあ「おもちが二個なのぉ~!」

みう「ちょうちょ……でしょうかぁ~?」

玲音「左右対称の図柄だった可能性は高いですね」

あおい「ええと……リボンですか?」

せいら「ハートよハート! 見ればわかるでしょ!」

五人が、改めて胸元を見た。

引き伸ばされたハートは、ほぼ一本の赤い帯になっていた。

ひばり「伸びしろがすごい」

せいら「だまれ!」


みうは、にこにこしながら前へ出た。

みう「ではぁ、わたしですぅ~」

ポンチョがふわりと落ちる。

淡いピンク色の、ゆるふわロングワンピース。
柔らかな布が幾重にも重なり、袖も裾も風にほどけそうなほど軽い。
普段のみうのイメージそのままなのに、ゆるふわ感だけが三倍になっていた。

重量級の胸を抱えているはずなのに、風が吹けば本人ごと空へ飛んでいきそうである。

あおい「みう先輩……その、すごかですね……」

みう「えへへぇ~。ありがとうございますぅ~」

ひばり「何がとは言わないんスね」

あおい「いや、その……全体的に……」

せいら「追い込むんじゃないわよ。後輩が困ってるでしょ!」

みう「わたし、飛んでいきそうですかぁ~?」

玲音「空気抵抗は大きそうですが、重量面で問題があります」

みう「玲音ちゃん、急に現実的ですぅ~」


りりあは、せいらより少し高い位置から得意げに笑った。

りりあ「りりあの番なのぉ~!」

ポンチョを脱ぐ。

丸襟のブラウス。
チェックのスカート。
小さなショルダーバッグ。
髪には大きめのリボン。

お手本のような、小学生女子のお出かけコーデだった。

そして足元には、似つかわしくないほど巨大な厚底ハイブーツ。
その厚みだけで、せいらの身長を追い越している。

りりあ「どうなのぉ~? お姉さんになったのぉ~♡」

せいら「服はいつもより幼くなってるわよ」

ひばり「身長だけ課金した小学生ッス」

りりあ「あおいちゃんに対抗したのぉ~!」

あおいは、超厚底ブーツを履いたまま、はるか上からりりあを見下ろした。

りりあ「…………ぜんぜん届いてないのぉ」

玲音「りりあさん、それで歩けますか?」

りりあ「初めて履いたのぉ~!」

せいら「不安しかないわね」

玲音「登校前に履物を変更したほうがよいと思います」

りりあ「だいじょうぶなのぉ~。まっすぐなら歩けるのぉ~」

その発言で、不安がさらに増えた。


最後は、あおいだった。

せいらが腕を組み、すでに確信した顔でポンチョの輪郭を見る。

せいら「ねぇ、あの顔にポンチョのシルエット……絶対に例のゴスロリ衣装よ」

ひばり「ウチもそう思うっス」

あおい「やっぱりバレとったとですね……」

あおいがポンチョの留め具を外す。

黒い布が落ちた瞬間、五人の予想を超える姿が現れた。

初めて部室へ来た日に、制服のまま履いていた超厚底ブーツ。
黒を基調に、紫のチェックが鮮やかに走るゴシックスタイル。
長い脚の途中、膝丈で広がるフレアのプリーツスカートは、正三角形よりも大きく張り出している。
上半身は細く引き締まり、長い黒髪とほんのりゴシックなメイクが全体を鋭くまとめていた。

かわいい、というより――かっこいい。

しかも、異様に脚が長い。

二年生五人が、そろって黙った。

あおい「……あの、変じゃなかですか?」

ひばり「いや……ちょっと待ってほしいッス」

せいら「制服のときより十倍完成してるじゃない……!」

みう「お人形さんみたいですぅ~。でも、かっこいいお人形さんですぅ~」

りりあ「足が終わらないのぉ~!」

玲音「全体の比率が非常に整っています。スカートの広がりで腰位置が強調され、さらに脚が長く見えていますね」

あおい「そ、そげん褒められると思っとらんかったです……」

普段より強い目元のまま、あおいが恥ずかしそうに笑う。
そのギャップに、今度は五人がまとめて少し黙った。

ひばり「……一年生、強いッスね」

せいら「初参加で全部持っていかないでよ!」


六人は脱いだポンチョを畳み、ようやく校舎へ向かって歩き始めた。

当然、目立った。

服装自由日の学園には、普段着の学生も、気合の入った学生も大勢いる。
それでも、この六人が横一列で歩けば、視線は自然に集まってくる。

すれ違う学生たちの小声が、あちこちから聞こえた。

「原形なさすぎて誰かわかんないけど、ひばりなのはわかる」

「せいらちゃんの胸、見られたいのか見られたくないのかわかんない……」

「玲音……尊い……」

「みうっち、メルヘンとエロが同居してる……」

「りりあちゃん、背をカサ増ししてんのに、いつもよりロリ……」

「ねえ、あの黒と紫の子、誰?一年生?ゴスロリのロリがない……かっこよ……」

あおい「……すごく見られとる気がします」

ひばり「服装自由日は、見るのも見られるのもイベントのうちッス!」

玲音「ひばりは普段から見られていますけれどね」

ひばり「今日は視線の質が違うッス!」

せいら「胸の柄を凝視されてる気がするんだけど……!」

みう「みんな、かわいいって言ってくれていますぅ~」

りりあ「りりあも、お姉さんって思われてるのぉ~♡」

せいら「真逆の感想が聞こえたわよ」

賑やかに言い合いながら、六人は寮門前から校舎へ続く道を進んでいく。

その途中。
道路脇には、なだらかな芝生の傾斜があった。

りりあ「厚底、慣れてきたのぉ~! もう普通に歩けるのぉ~!」

玲音「その発言は危険です。前を見て――」

ぐねっ。

りりあ「ふぇ?」

足首が、曲がってはいけない方向へ傾いた。

次の瞬間。

りりあ「きゃああああああなのぉ~~~~っ!?」

りりあは道路脇の芝生へ倒れ込み、そのまま傾斜を転がり始めた。

一回。
二回。
三回。

大きなリボンがほどけ、ショルダーバッグが宙を舞う。

四回。
五回。
六回。

片方の厚底ブーツが脱げて、後方へ飛んだ。

七回。
八回。
九回。

りりあ「目が回るのぉ~~~~!」

そして十回目。

ぽすん。

傾斜の下の、柔らかい植え込みに頭から突っ込んで止まった。

一同「りりあぁあああっ!!」

ひばり「服装自由日、足元まで自由にしすぎたッス……!」

玲音「だから履き替えるよう言ったんです……!」

りりあ「お姉さんへの道、険しかったのぉ……」

せいら「反省するところ、そこじゃないでしょ!」

六人の勝負服品評会は、開始からまだ十分ほど。

その日の最初の目的地は教室ではなく、保健室になった。

2-026 散策というには広すぎました

#126

それから数日。

おそと部は、畑の世話と動画編集を並行して進めていた。

ベビーリーフとリーフレタスは、収穫できるところから使ったため、残りはおよそ半分。
トウモロコシとミニトマトも、今のところ順調だった。

朝か放課後に水をやり、変化があれば写真を撮る。
あおいも一緒に作業していたが、畑については先輩たちと同じように、様子を見ながら覚えているところだった。

その合間には、珍しい部活を紹介する取材動画の編集。
さらに、次の散策マップ企画に向けて、学園内の施設や移動経路の下調べも進めていた。

そして、散策計画会議の日。

部室の机には、ノートパソコン、学園案内、印刷した地図、各自のメモが並んでいた。

玲音は、集めた資料を前に、深刻な顔をしていた。

玲音「……皆さん。深刻な問題があります」

その声に、全員の背筋が伸びる。

ひばり「な、なんスか……?」
せいら「まさか、企画そのものがダメになったとか?」
みう「どこか立入禁止でしたぁ……?」
りりあ「おひるねスポット、なかったのぉ……?」
あおい「な、何か危なかところでもあったとですか……?」

全員が、ごくりと唾を飲む。

玲音は、ゆっくり顔を上げた。

玲音「この学園……今さらですが……散策というには、広すぎました……」

しん、と部室が静まる。

そして。

ひばり「……それだけッスか?」
せいら「広いのは知ってるわよ!学園一つ分でしょ?そこは気合で歩きなさいよ。脅かさないで!」
みう「ひろいのは、みんな知ってますよぉ〜」
りりあ「大きい学校なのぉ〜」
あおい「うちも、最初から広かとは思っとりましたけど……」

全員が一斉に力を抜いた。

しかし、玲音の表情は変わらない。

玲音「では、分かりやすく説明します」

玲音が、資料の一枚目をめくった。

玲音「この学園は、幼児部から始まり、上は各種専門課程まで、そして寄宿舎、職員居住区、研究施設、運動施設など、複数の区画から構成されています」
せいら「まあ、それくらいは知ってるわ」
玲音「敷地面積で比較すると、ちょっとした市町と同程度です」

全員「……え?」

玲音「まさに文字どおりの学園都市です。いえ、教育施設の中に町がある規模ですので、主従が逆転しています。したがって、学園都市ではなく“都市学園”と呼ぶべきでしょう」
ひばり「なんて?」
せいら「ちょっと待って。市町って言った?」
玲音「言いました」
みう「広すぎて新しい言葉が誕生しましたぁ……」

玲音「さらに、区画間を走っている道路の一部は、学園所有の私道ではなく県道です」
ひばり「敷地の中に県道が通ってるんスか!?」
玲音「はい。正確には、県道の一区間を学園区画がまるごと包囲しています」
あおい「それ、もう“道を渡ったら別の校舎”って話やなかですよね……?」

玲音「幼児部から内部進学を続ける通学生の場合、成長に応じて利用する最寄り駅が二度変わる例もあります」
せいら「卒業まで同じ学園にいるのに!?」
玲音「途中で引っ越しを検討してもよいレベルですね」
ひばり「スケールが転校ッス」
りりあ「駅がかわるのぉ……?」

玲音「ちなみに、学園で使用する電力の一部は、地下設備のコージェネレーションシステムで発電されています。電力と熱を同時に供給し、複数区画へ配分しているそうです」
ひばり「なんて?」
玲音「コージェネレーションです」
ひばり「二回言われても分からんッス」
せいら「なんで学校の散策計画で、発電設備の話が出てくるのよ……」
みう「もしかしてぇ……停電しても、しばらく普通に動くんですかぁ?」
玲音「仮に周囲の街が停電しても、この学園はなんの問題もなく数週間機能し続けます」
せいら「その“都市”の理事長って……やっぱりバグでしょ、あの人……」

理事長が一人で掌握している範囲としては、あまりにも広い。

玲音「続けます」
せいら「まだあるの!?」

玲音は、机の上に学園全体図を広げた。

大きな紙ではある。
だが、なんとか机の上には収まっている。

せいら「……ん? 思ったより広くないんじゃない?」
ひばり「これなら、頑張ればいけそうに見えるッスね」

みうは、地図へ顔を近づけた。

みう「いえ……これぇ……縮尺がおかしいですぅ」

玲音が、地図の端に小指を置いた。

玲音「この小指の幅が、およそ百メートルです」

あおい「えぇ……」
ひばり「玲音の小指、急に進撃の巨人になったッス」
玲音「なってないです」

りりあも地図へ小指を置く。

りりあ「りりあの小指なら、ちょっと短くなるのぉ?」
玲音「残念ながら、距離は変わりません」
りりあ「地図、つよいのぉ……」

玲音は、地図の左端から右端まで指でなぞった。

玲音「ちなみに、学園の端から反対側の端を見た場合、敷地が完全な平面だと仮定しても、場所によっては地平線の向こう側になります」

全員「…………」

完全におかしかった。

せいら「いやいや、学校で地平線って言葉使わないでよ!」
ひばり「校内の端が見えないって、校内って何なんスか!?」
あおい「うち、よう考えんと入学したっちゃけど……とんでもなかところに入ってしもうたとですか……?」

玲音「平面的な広さだけではありません。建物の多くは三階建て以上です。部室棟も複数あり、理事長室のある本館は、ご存じのとおり十二階建てです」
みう「エレベーター、何回も乗りますもんねぇ……」
玲音「食堂は八か所。図書館は分館を含めて四か所。職員室に相当する教員執務区画も六か所あります」
ひばり「職員室が六個……?」
玲音「体育施設、講堂、庭園、温室、実習棟、研究棟、寮、保健施設まで含めれば、建物数はさらに増えます」
せいら「もうよく分からなすぎて、めまいしてきたわ……」
ひばり「ウチ……我ながら、よく入れたッスね……」
あおい「入試に受かったことより、校舎にたどり着けたことを褒めたほうがよか気がしてきました……」
りりあ「歩けないですぅ〜」

ここまで説明を聞いて、ようやく全員が玲音の深刻さを理解した。

当初の計画は、二日間で学園全体を調査するというものだった。

二日。

地平線の向こう側まである学園を、二日。

無理だった。

かなり早い段階から、完全に無理だった。

みうが震えながら手を上げる。

みう「と……とりあえずぅ、わたしたちのいる上等部区画だけにしませんかぁ〜?」

上等部だけ。

その言葉が、今日初めて現実的な響きを持った。

せいら「そうよ! 最初から全部やる必要ないじゃない! まずは上等部編!」
玲音「妥当だと思います。対象を上等部の主要区画に限定し、利用頻度と実用性の高い場所を優先しましょう」
ひばり「さすがみうっち! 危うく町歩き番組になるとこだったッス!」
あおい「“学園散策”で済む範囲に戻ってきた感じがします……」
りりあ「上等部だけなら、歩けるのぉ?」
玲音「……計画次第ですね」

それでも、“何でもやってみる”がおそと部の方針である。

最初から完璧を狙わず、まず一区画から試す。
情報を集め、失敗したら次に生かす。

ひばり「そういや、学内移動用のシェアサイクルあったッスよね!」
玲音「!」
ひばり「人数分予約取れる日に、遠いところだけ一気に片付けるってどうスか?」

玲音の目が見開かれた。

玲音「ひばり、それは名案です」
ひばり「うおっ、玲音に名案って言われたッス!」
みう「ポタリング案も消化できますぅ〜」
せいら「散策マップを作りながら、前に出てた自転車企画もできるってことね」
りりあ「自転車で、びゅーんなのぉ〜♡」
あおい「いやいや……敷地内移動用に自転車が完備されとる時点で、やっぱスケールがおかしかですよ……」

正論だった。

玲音は全体図の上に紙を重ね、上等部区画だけを囲んだ。

玲音「本日は対象範囲と移動手段までで十分でしょう。明日、上等部内をさらに区域分けして、具体的な調査ルートを作成します」
せいら「賛成。今日はもう、学園の広さでおなかいっぱいだわ」
ひばり「こないだは九州醤油、今日は学園規模で胃もたれッスね」
みう「どっちも濃かったですぅ〜」
あおい「学園の広さって、味の濃さと並べてよかとですか……?」
りりあ「どっちもごはんがいるのぉ〜」
玲音「学園に白米は必要ありません」

少しだけ話が逸れたが、企画そのものは無事に立ち上がった。

対象は、まず上等部区画。
遠距離移動にはシェアサイクル。
細かなルートは、明日の会議で決める。

当初の“二日で学園全体を回る計画”は、この時点で早くも完全に破綻していた。

解散前。

地図を畳む玲音の横で、あおいが小さく手を上げた。

あおい「……上等部が終わったら、ほかの区画編もあるっちゃんね?」

玲音の手が止まる。

玲音「今は考えてはダメです」

あおい「はい……です……」

机の上には、まだ上等部しか囲っていない巨大な地図。

おそと部の散策企画は、
散策を始める前から、すでに長期戦の気配を漂わせていた。

2-025 学園探検隊

#125

翌日。

理事長は不在だった。

昨日、釣りから戻ったあとは、魚の処理と料理で手一杯だった。
竿や道具は、現地で軽く水をかけて拭いた程度である。

というわけで、今日のおそと部は、部室で釣具の整理とメンテナンスをしていた。

机の上には、ダ〇ソータックル。
サビキ仕掛けの残り。
使いかけのチューブ撒き餌。
予備の針。
タオル。
そして、まだ少し海の匂いがするケース類。

ひばり「昨日、完全に釣りして料理して食って終わったッスもんね」
みう「おなかいっぱいで、道具のこと忘れてましたぁ〜」
りりあ「ブリさん、おいしかったのぉ〜♡」
せいら「ブリ大根じゃなくて、白米誘導装置だったけどね」
玲音「九州醤油の影響力は、想定以上でした」
あおい「あはは……ちょっと濃かったですもんね。でも、みなさん食べてくれて、うれしかったとですよ」

昨日の釣行と調理の成果は、すでに少しだけ形になっていた。

本編動画は、編集に時間がかかる。
なので、タイムリーさを優先して、せいらが短いショート動画だけを先に作って投稿したのだ。

サムネイルには、ブリを前にした全員の歓声と、
理事長の衝撃顔が、しっかり使われていた。

理事長は不在だった。
だから、止める者はいなかった。

せいら「再生数、悪くないわね」
ひばり「コメントも来てるッスよ。“理事長の顔レアすぎ”って」
みう「かわいかったですもんねぇ〜」
玲音「理事長がご覧になったら、少し困った顔をされそうですね」
せいら「その顔も撮りたい」
玲音「広報担当としての倫理はどこへ行ったのですか」
せいら「映える方向へ行ったわ」

広報担当は、今日も通常運転だった。


一方、あおいは釣具の状態を確認していた。

あおい「ダ〇ソーさんのは安くて使いやすかですけど、やっぱ錆びたり痛んだりしやすかですけんね。使ったあとが大事なんです」

あおいは、竿のガイドをひとつずつ見ていく。
指先で軽く触り、傷がないか確認する。

あおい「ここ、糸が通るところやけん、傷が入っとるとラインが切れやすくなるとです」
ひばり「ガイドって、輪っかのとこッスよね」
あおい「そうです。ここにサビとか傷があると、けっこう危なかです」
みう「ちっちゃいところも大事なんですねぇ〜」

あおいは、昨日使った道糸も少し引き出した。

あおい「このへん、ちょっと擦れとりますね。フグさんとか、堤防の角とかで傷つくことあるけん、少し切っときます」

パチン。

あおいは擦れた部分を切り落とし、結び直す。

りりあ「糸さん、けがしてたのぉ〜?」
あおい「そうですねぇ。けがしとったけん、悪いとこだけ切って元気にするとです」

ひばり「あおいっち、昨日からずっと先生ッス」
あおい「そ、そんなことなかですよ。うちもまだまだですけん」
せいら「謙遜してるけど、あたしたちから見たら普通に師匠なのよ」
あおい「し、師匠はやめてください……なんか照れるけん……」

あおいは照れながらも、手は止めない。
海水を落とす。
金具を拭く。
仕掛けを分ける。
使えるものと、次は替えたほうがいいものを分けていく。

玲音「釣りは、釣っている時間以外も含めて釣りなのですね」
あおい「そうですね。片付けまでちゃんとせんと、次に困るとです」


整備をしながら、自然と次の企画の話になった。

釣りは楽しかった。
料理も楽しかった。
だが、毎回ブリが釣れるわけではない。

せいら「前に出てた“散策マップ案”、ちょっと本格的に考えてみる?」

せいらがスマホを置き、そう切り出した。

あおい「散策マップ、ですか……?」

その瞬間だった。

バァン!

部室のドアが、勢いよく開いた。

あおい「びっくりしたあ! なしてみなさんノックせんとですか!」

あおいが肩を跳ねさせる。
ひばり、みう、りりあ、玲音、せいらは、ほぼ動かなかった。

ひばり「おそと部名物、突然入室ッス」
玲音「慣れとは恐ろしいものですね」

入ってきたのは、理事長ではなかった。

さやか先生だった。

さやか「あ、あおいちゃん! はじめましてー! 顧問のさやかよ。よろしくね! ぬいぐるみ部と兼任だから、たまにしか来れないけど!」

さやか先生は、にこにこと手を振った。

あおい「あ、はいっ。仮入部中のあおいです。よろしくお願いします」
さやか「うんうん、礼儀正しい! いい子! 先生、そういう子好き!」
ひばり「先生、第一声それでよかったんスか?」
さやか「あ、そうだった!」

さやか先生は、急に真顔になった。

さやか「じゃなくて! 動画見たわよ!」

せいら「早いですね」
さやか「何あのおいしそうな料理! なんで呼んでくれなかったのよぉ!」

顧問の第一声は、食べ物への抗議だった。

玲音「いえ……一応、グループLINEには入れておいたのですが……」
さやか「えっ?」

さやか先生がスマホを見る。

数秒後。

さやか「……通知、オフになってる」

沈黙。

ひばり「自爆ッスね」
せいら「完全に先生側の問題ですね」
みう「通知さん、寝てましたねぇ〜」
りりあ「すやすやなのぉ〜」

さやか先生は、その場に崩れ落ちた。

さやか「なんでこんな時に……? 食べたかったのに……ブリ……アジ……九州醤油……」

床に膝をつき、さやか先生は本気で落ち込んでいる。

あおい「あ、あの……まだお魚さん半身ありますけん……今度は一緒に作りましょう」

さやか先生が、ぱっと顔を上げる。

さやか「あおいちゃんやさしっ!」

そして、そのままあおいにハグした。

あおい「わっ、わわっ……!」
ひばり「先生、距離感バグってるッス」
せいら「顧問らしいところを見せなさいよ!」
さやか「あおいちゃん、いい子すぎない? 先生、泣きそう」
あおい「い、いえ、魚はみんなで食べたほうがおいしかですけん……」
みう「やさしいですぅ〜」
りりあ「あおいちゃん、ぽかぽかなのぉ〜」

さやか先生は、あおいを離すと、何事もなかったように椅子へ座った。

さやか「で、何の話してたの?」
せいら「切り替え早いですね」
さやか「食べ物の悲しみは、企画で埋めるのよ」
ひばり「名言っぽいけど、たぶん違うッス」


そのまま、さやか先生も交えて企画会議が始まった。

せいら「前に出てた散策マップ案を、ちょっと本格的に考えようかって話です」
さやか「散策マップ?」
せいら「ええ。あおいに校内を案内する意味も込めて、公式パンフには載ってない、学生目線の情報をまとめるのはどうかと思って」

あおい「公式パンフには載ってない、学生目線……」

あおいは、少し目を輝かせた。

あおい「それ、めっちゃ面白そうです。うち、まだ校内で知らん場所ばっかりですけん」
ひばり「“昼寝の穴場スポット”とか、“学食の裏技”とかッスね!」
りりあ「“ここでおひるねしたらさいこう”マップなのぉ〜♡」
みう「日当たりがよくてぇ、風が気持ちいいところとか、よさそうですぅ〜」

さやか先生が、勢いよく身を乗り出した。

さやか「それいい!! 先生も知りたいわ! 職員室と保健室以外の“寝やすいとこマップ”!」

玲音「先生が乗り気になりましたね……」
せいら「そして目的が不純ね」
さやか「失礼ね。先生だって休憩場所を開拓したいのよ」
ひばり「つまり寝たいんスね」
さやか「そうとも言う!」

顧問は堂々としていた。

あおい「先生がそれ言ってよかとですか……?」
さやか「大丈夫。先生は大人だから」
玲音「大人とは」


玲音がノートを開き、企画案を整理し始めた。

玲音「候補としては、以下のような項目でしょうか」

玲音「
 ・昼寝穴場スポット。ベンチ、芝生、人通りの少ない場所。
 ・学食の“裏メニュー”ではなく、“裏技”。調味料ブレンドなど。
 ・自動販売機の品揃えの特徴。
 ・静かに自習できる場所。
 ・写真映えするスポット。
 ・雨の日でも楽しめる屋内ポイント。
 ・新入生が迷いやすい場所。
 ・季節ごとに雰囲気が変わる場所。
 ……などでしょうか。

ひばり「“学食裏技”は外せんッスね。カレーに唐揚げ乗せて、マヨかけるとか!」
せいら「それ、完全にカロリー爆弾よ」
みう「でも絶対おいしいやつですぅ〜」
りりあ「りりあ、からあげカレー食べたいのぉ〜」

あおいは、ノートをのぞき込みながら、こくこく頷いていた。

あおい「よかとですか!? そういう“先輩おすすめコース”教えてもらえたら、うち、めっちゃうれしかです!」

あおいの素直な反応に、全員が少しだけ嬉しそうな顔をする。

みう「あおいちゃんに案内するの、楽しそうですぅ〜」
ひばり「あおいっちのリアクション、撮れ高ありそうッス」
せいら「新入生目線の感想も入れられるわね」
玲音「利用者視点として有効ですね」
りりあ「りりあたちも知らない場所、多いのぉ〜。学園内フルコンプで歩くのぉ〜!」

その言葉に、ひばりが親指を立てた。

ひばり「フルコンプ、いい響きッスね」
せいら「軽く言ってるけど、この学園、普通に広いわよ」
さやか「大丈夫大丈夫。若いんだから歩ける歩ける」
ひばり「先生も来るんスよね?」
さやか「えっ」

さやか先生の目が泳いだ。

せいら「顧問ですからね」
玲音「安全管理の観点からも、同行いただけると助かります」
さやか「え、ええ、もちろん。先生、行けたら行くわ」
ひばり「出たッス。来ない人の言い方」
さやか「ちがうわよ! 先生にも仕事があるの!」

顧問の信頼度は、まだ低かった。


最初の案は、単純だった。

一日で学園内を回りきる。
写真を撮る。
メモを取る。
後日、まとめてマップにする。

せいら「また動画編集みたいな地味作業が続きそうね」
みう「でも、それもみんな慣れてきましたしぃ〜」
ひばり「六人で手分けしたら、実質六分の一ッスね」
りりあ「六分の一なら、ちっちゃいのぉ〜」
せいら「数字だけ聞くと楽そうなのよね」

玲音は、少し考え込んでから、ノートに線を引いた。

玲音「一日で回ること自体は可能かもしれません。ただし、内容が薄くなる可能性があります」
ひばり「薄いマップはダメッスね」
玲音「ええ。写真映え、実用性、新入生目線、季節感を入れるなら、念のため二日かけて回る計画にしましょう」
せいら「念のため、ね」
みう「余裕があるほうが安心ですぅ〜」
あおい「うちも、ゆっくり案内してもらえるほうがありがたかです」
りりあ「二日もお散歩できるのぉ〜♡」
さやか「二日……あ、先生、ぬい部の顧問でもあるから行けないかも!」
せいら「もう逃げたわね」


企画は、少しずつ形になっていった。

調査は、念のため二日間。
その後、数日かけてマップ作成。
写真、メモ、動画、学生コメントをまとめる。

完成形は、紙の散策マップと、学園公式に載せられる短い紹介動画。

せいら「紙マップは掲示用。動画は広報用。ショートも切り抜けるわね」
ひばり「せーら、完全に編集者ッス」
みう「すごいですぅ〜」
玲音「以前より作業の見通しが立つようになっていますね」
せいら「まあ、慣れたわよ。地味作業にはね」
さやか「先生、完成したら職員室にも貼りたい!」
ひばり「寝やすい場所マップとしてッスか?」
さやか「ちがうわよ! 学生の活動紹介としてよ!」
せいら「一瞬、間があったわね」

あおいは、書き出された項目を見ながら、嬉しそうに笑っていた。

あおい「なんか、すごかですね。釣りした次の日に、もう次のこと考えとるとですもん」
ひばり「おそと部、止まると死ぬッス」
玲音「マグロですね」
みう「マグロさんもおいしいですぅ〜」
せいら「昨日から魚の話に戻りすぎなのよ」
りりあ「おさかな部なのぉ〜?」
あおい「でも、こういうの、ほんと楽しかです。うち、先輩たちといろんな場所、見て回りたかです」

その一言で、会議の空気が少し柔らかくなった。

新しく入ってきた後輩に、学園を案内する。
ただの散策マップ作りだったはずの企画が、少しだけ歓迎会の続きみたいになった。

みう「あおいちゃんに、おすすめの場所、いっぱい教えたいですぅ〜」
りりあ「りりあの秘密の場所も教えるのぉ〜」
玲音「秘密にしておくべき場所は、掲載しない判断も必要ですね」
ひばり「たしかに、穴場が穴場じゃなくなるッス」
せいら「そこは“公開していい穴場”と“内緒の穴場”で分けましょう」
さやか「先生にだけ、寝やすい内緒の穴場を教えて」
せいら「先生には教えません」
さやか「なんでよぉ!」

顧問の扱いは、今日も雑だった。


こうして、おそと部の次の企画は決まった。

公式パンフには載っていない、学生目線の散策マップ。

あおいに学園を案内しながら、
自分たちも、まだ知らない学園を見つける。

一見、平和で、のんびりした企画だった。

せいら「じゃあ、次回は調査ルートマップの確認ね」
ひばり「学園内フルコンプ、やるッスよ〜!」
みう「お散歩楽しみですぅ〜」
りりあ「おやつ持っていくのぉ〜♡」
玲音「必要な持ち物リストも作成しておきます」
あおい「よろしくお願いします。うち、めっちゃ楽しみです」
さやか「先生も、行けたら行くわ!」
全員「来ないやつだ」
さやか「それはそう」

みんなは笑っていた。

その時点では、誰も知らなかった。
おそと部は、数日後、全員そろって後悔することを。

2-024 九州味の暴力

#124

その日の夕方。

寮のキッチンでは、どう考えても手狭だった。

アジ、セイゴ。
そして、理事長が釣り上げたブリ。

釣果を前にして、寮のキッチンは早々に白旗を上げた。

ひばり「いや、これ寮の台所でやる量じゃないッス」
みう「まな板が足りないですぅ〜」
玲音「衛生面と作業スペースを考えると、調理室の使用が妥当ですね」

というわけで。

おそと部一行は、放課後の学校の調理室に集まっていた。


せいら「……ここに来ると、一年の時のバレンタインを思い出すわ……」
玲音「……そ、そうですね……」

調理台を前に、せいらと玲音が微妙な顔をする。

その瞬間。

あおいの目が、きらりと光った。

あおい「え? え? なにかあったとですか? もしかして彼氏さんが!?」

ひばり「ぶふっ!」
みう「ふふふふふぅ〜」
りりあ「ばれんたいんなのぉ〜♡」

三人が、同時に笑い崩れる。

ひばり「いや〜、あれはマジで伝説級だったッスね〜」
みう「甘くてぇ、重くてぇ、いろいろ大変でしたぁ〜」
りりあ「せいらちゃんが、すごかったのぉ〜」
あおい「えっ、えっ、やっぱり何かあったとですね!? 聞きたかです!」
せいら「しゃべったらぶっとばすわよ!」

あおい「す、すみません。でも恋バナの匂いがしたけん、つい……」
玲音「恋バナではありません。少なくとも、そう単純なものではありません」
ひばり「単純じゃないッスよね。かなり濃厚だったッス」
せいら「ひばり!」
ひばり「黙るッス!」

魚をさばく前から、すでに一波乱である。


とはいえ、今日の本題は魚の処理だった。

釣った魚は、すでに現地で締めて、ワタも取ってある。
それでも、この量である。

調理台の上に魚が並ぶと、改めて今日の釣果の異常さが分かった。

ひばり「これ、スーパーの裏側ッスか?」
りりあ「おさかな屋さんなのぉ〜」
みう「きれいに並べると、すごいですねぇ〜」
玲音「部活動の成果物としては、かなり実用的ですね」
せいら「実用的すぎるのよ」

理事長はエプロンをつけ、手を洗い、静かに包丁を手に取った。

それだけで、空気が変わった。

玲音「姿勢が美しいですね……」
みう「プロみたいですぅ〜」
あおい「ほんと、手つきがきれかですねぇ……」

理事長「大物二匹は私が解体します。ただし、料理そのものは学生主体で行いましょう」
あおい「うちのセイゴさんもですか。よろしくお願いします」
理事長「ええ。大切に扱いましょう」

理事長の声は、いつものように落ち着いていた。
だが、包丁を入れる手つきは、どう見ても家庭科の先生ではない。

プロだった。

ひばり「理事長、ほんと何者なんスか」
理事長「理事長よ」
せいら「答えになってないわよ」


役割分担が決まった。

理事長は、ブリとセイゴの解体。
みうと玲音は、包丁担当。
あおいは、ブリ大根の味付け担当。

そして。

ひばり、りりあ、せいらは、畑へ向かうことになった。

せいら「待ちなさい。なんであたしまで畑なのよ」
玲音「包丁担当を希望されますか?」
せいら「……畑に行くわ」
ひばり「判断が早いッス」
りりあ「ラディッシュさん、取りに行くのぉ〜♡」

畑では、ラディッシュがいくつか収穫できる大きさになっていた。
ベビーリーフとリーフレタスも、添え物にできそうな葉が少しある。

ひばり「つまり、これはおそと部産ッスね」
せいら「一応、大根……なのかしら」
りりあ「赤くてまるい大根なのぉ〜」

ブリ大根に使うには、かなり小さい。
だが、おそと部の畑で育った、初めての収穫である。

せいら「いいじゃない。こういうの、広報に向いてるわ」

せいらはスマホを構えた。

せいら「釣った魚と、育てた野菜で料理。青春っぽいわ。かなり強いわ」
ひばり「完全に広報担当になってるッス」
りりあ「りりあ、ラディッシュさん持つのぉ〜?」
せいら「いい!それいいわ!かわいく。そう、両手で。はい、完璧」

りりあが両手でラディッシュを持つ。
それだけで、素材写真としては勝ちだった。


三人が畑から戻るころには、調理室の空気はさらに本格化していた。

理事長は、ブリを見事に解体していた。
半身は調理室の冷凍庫へ。
後日、刺身とカルパッチョにする予定である。

セイゴも三枚におろされ、こちらも冷凍庫へ回された。

ひばり「ブリ、半分だけでこの量ッスか……」
みう「すごいですぅ〜」
玲音「冷凍庫の存在に感謝ですね」
せいら「朝のクーラーボックスといい、今日ずっと保存容器に助けられてるわね」

みうと玲音は、アジの下処理を進めていた。

みうは、慣れた手つきで小アジを扱っている。
玲音も慎重ながら、きれいに処理していく。

みう「南蛮漬け、楽しみですぅ〜」
玲音「骨まで柔らかくするには、揚げ方と漬け時間が重要ですね」
りりあ「みうちゃん、上手なのぉ〜」
みう「おうちで少しだけお手伝いしてますぅ〜」
せいら「みうは普通にできるのね……」
みう「普通ですぅ〜」
せいら「その普通、あたしに分けなさいよ」

せいらは動画を撮りながらも、みうと玲音の手元を真剣に見ていた。

あおい「せいら先輩、料理、覚えたいとですか?」
せいら「べ、別に。ちょっと見てるだけよ」
ひばり「見てるだけにしては、めっちゃ真剣ッス」
せいら「うっさいわね! できないより、できたほうがいいでしょ!」
あおい「それ、すごくよかことやと思います」
せいら「……急にまっすぐ褒めないでよ」

せいらは、少しだけスマホを下げた。
そして、またすぐに撮影に戻った。


アジの南蛮漬けは、みうを中心に進んだ。

小アジに粉をまぶし、からりと揚げる。
玉ねぎ、にんじん、ピーマンを刻み、甘酸っぱい南蛮酢に浸す。

じゅわっ。

揚げたてのアジが漬け汁に入る音に、全員の視線が集まった。

みう「いい音ですぅ〜」
ひばり「絶対うまいやつッス」
りりあ「じゅわじゅわなのぉ〜♡」
玲音「酸味の香りが食欲を刺激しますね」

最後に、畑から収穫したベビーリーフとリーフレタスを添える。
小さなラディッシュの葉も、少しだけ彩りに使った。

みう「できましたぁ〜。おそと部産のお野菜添えですぅ〜」
ひばり「映えるッス!」
せいら「これは撮るわ。絶対撮るわ」

せいらのスマホが、南蛮漬けをさまざまな角度から狙う。


一方、ブリ大根班。

正確には、ブリとラディッシュの九州醤油煮である。

あおいは持参した九州醤油のボトルを取り出した。

あおい「ブリ大根なら、うち、実家の感じで作ってよかですか?」
理事長「もちろん。今日はあおいさんの味を教えてちょうだい」
あおい「はい。じゃあ、ちょっと甘めになると思います」

あおいは鍋に、醤油、みりん、酒、砂糖を入れていく。

どぼどぼ。

どぼどぼどぼ。

ひばり「おおー、豪快ッスね〜」

ひばりは分かっていない顔で感心した。

りりあ「九州のお醤油、いい匂いなのぉ〜」
せいら「いや、なんか量すごくない?」
玲音「あ……あおいさん、それ、分量あっていますか?」

玲音の声が、わずかに揺れた。

あおい「だいじょーぶですよ。いっつも、こんくらい入れますけん」
玲音「こんくらい……」

玲音は小声で、そっと理事長に近づいた。

玲音「理事長、どう思われます?」
理事長「……九州の方は、甘じょっぱい濃い味付けがお好きだと聞くわ。ああいうものなのかしら……」
玲音「なるほど……地域差……」

その横で、あおいはためらいなくブリを鍋に入れていく。
ラディッシュも一緒に入る。

ぐつぐつ。

九州醤油の甘い香りが、調理室いっぱいに広がっていった。

みう「わぁ……いい匂いですぅ〜」
ひばり「これ、ごはんいるやつッス」
りりあ「おなかすいたのぉ〜」
せいら「匂いだけで白米を要求してくるわね……」

あおいは味見をして、にこっと笑った。

あおい「うん。よか感じです」
玲音「本当に……?」
理事長「信じましょう」
玲音「はい……」

鍋の中で、ブリとラディッシュが濃い色に染まっていく。
その見た目は、圧倒的だった。


実食の時間になった。

調理室の机には、料理が並んでいる。

アジの南蛮漬け。
ブリとラディッシュの九州醤油煮。
炊きたての白ごはん。

そして、少しだけ添えられた、おそと部産のベビーリーフとリーフレタス。

全員「いただきます!」

まずは、アジの南蛮漬け。

ひばり「うまっ!」
みう「骨まで柔らかいですぅ〜」
りりあ「すっぱいけど、あまいのぉ〜♡」
玲音「酸味、甘み、油のコク。非常にバランスがよいですね」
せいら「普通にお店で出るやつじゃない」
みう「えへへ〜。よかったですぅ〜」

そして。

あおいのブリ大根である。

正確には、ブリとラディッシュの九州醤油煮である。

全員が、ひと口食べた。

沈黙。

ひばり「……う、美味いんスけど……」
せいら「……濃いわね」
玲音「食べるほど、なぜかおなかが空いてきますね……九州味の魔力でしょうか……」
みう「おいしいですぅ〜♪」

みうの茶碗から、白ごはんが一瞬で消えた。

ひばり「みうっちのごはん、消滅したッス」
みう「あれぇ〜? もうなくなりましたぁ〜」
りりあ「ごはんがすすむのぉ〜!」
せいら「進みすぎるのよ! これ、白米を食べさせるための兵器じゃない!」

あおいは、はっとした顔で鍋を見た。

あおい「す、すみません! 実家ではこれでご飯三杯いけるけん、つい……!」
ひばり「三杯前提の味ッスか!」
玲音「なるほど。単体で完結する料理ではなく、白米との連携を前提とした設計なのですね」
せいら「料理を戦術みたいに分析しないで」

理事長は、ブリをひと口食べたまま、静かに目を見開いていた。

京都出身の理事長にとって、これはかなり強い味だったらしい。

理事長「これは……中毒性があるわね……」

その顔は、明らかに衝撃を受けていた。

ひばり「理事長の衝撃顔、初めて見たッス」
みう「かわいいですぅ〜」
りりあ「りじちょー、びっくりなのぉ〜♡」
理事長「……反応に困るからやめてちょうだい」

しかし、理事長の箸は止まらない。

せいら「めちゃくちゃ食べてるじゃないですか」
理事長「ええ。濃いのに、もう一口いきたくなるわ」
玲音「これが九州醤油の引力……」
あおい「よかったです……お口に合わんかったらどうしようかと思ったとです」
理事長「とてもおいしいわ。ただし、ご飯が危険ね」
ひばり「ご飯が危険って初めて聞いたッス」

その後、本当にご飯が危険だった。

炊いた白米は、みるみる減っていった。

あおいは申し訳なさそうにしながらも、少しだけ嬉しそうだった。

あおい「なんか……うちの味、みなさんに食べてもらえるの、うれしかですね」
みう「あおいちゃんの味、おいしいですぅ〜」
ひばり「これは部の定番メニュー入りッス」
せいら「ごはんの消費量だけは問題だけどね」
玲音「次回は米の量を事前に計算しましょう」
りりあ「いっぱい炊くのぉ〜♡」


食後。

調理室には、満腹の静けさが漂っていた。

ひばり「……動けないッス」
みう「おなかいっぱいですぅ〜」
りりあ「しあわせなのぉ〜」
玲音「これは、午後の活動としては危険な満腹度ですね」
せいら「夕方でよかったわね」

せいらは椅子にもたれながら、スマホの動画を確認していた。

釣り。
調理。
畑の収穫。
アジの南蛮漬け。
九州醤油のブリ大根。
そして、理事長の衝撃顔。

せいらは満足げに頷いた。

せいら「取れ高、完璧ね」
玲音「何が撮れていたのですか?」
せいら「釣り、調理、畑、九州醤油、理事長の衝撃顔。全部撮れてるわ」
玲音「最後の項目は必要です?」
せいら「必要よ。バズるもの」
理事長「私の衝撃顔で広報しないでくれる?」
ひばり「でも今日いちばんレアだったッスよ」
みう「かわいかったですぅ〜」
りりあ「りじちょー、きゅんだったのぉ〜♡」
理事長「……反応に困るからやめてちょうだい」

あおいは、そんなやり取りを見ながら、くすっと笑った。

朝は海で魚を釣った。
夕方は学校で魚を料理した。
畑の野菜も、少しだけ食卓に並んだ。

買ったものもたくさんある。
でも、今日のごはんには、確かに自分たちの手で得たものが入っていた。

あおい「おそと部って……ほんとに、いろんなことするんですね」
ひばり「それが売りッス」
玲音「予定より、かなり実践寄りですが」
せいら「そして、予定よりだいたい大ごとになるわ」
みう「楽しいからいいですぅ〜」
りりあ「つぎはなにするのぉ〜?」

理事長は、湯気の残る鍋を見て、静かに微笑んだ。

理事長「少なくとも今日は、とてもよい活動だったわ」

誰も反論しなかった。

こうして、おそと部の初めての堤防フィッシングは、
釣って終わりではなく、
さばいて、煮て、揚げて、食べて、
白ごはんを大量に消費するところまで含めて、
ようやく本当の意味で幕を閉じた。

2-023 なにがつれるかな

#123

ミミズイソメ事件から、数日後。

朝の海は、まだ少し肌寒かった。
空はうっすらと明るくなり始めたばかりで、堤防の上には、ライフジャケットを着たおそと部の面々と――理事長が立っていた。

全員、足元にはそれぞれのマイ・ダ◯ソータックル。
いかにも「今日から釣りを始めます」という初々しい装備である。

ただし、一名を除いて。

ひばり「……何釣るつもりなんスか」

理事長の横には、どう見ても業務用サイズのクーラーボックスが鎮座していた。

理事長「ふっ。まあ、楽しみにしておきなさい」

ティアドロップ型の偏光グラスの奥で、理事長が不敵に微笑む。

玲音「……ご自身でフラグを乱立させていらっしゃいますね」
せいら「いつもの“理事長を慰める会”の準備、しといたほうがいいかもね……」

あおいと理事長は、今日はそろってロングヘアを高めのポニーテールにまとめ、キャップをかぶっていた。
背格好も近く、遠目にはほぼ“師弟釣りコンビ”である。

ただし、あおいのサングラスはスポーツタイプ。
理事長のサングラスは、明らかにバブルの残り香がした。

せいら「サングラスに世代を感じるわね」
理事長「なにか言ったかしら」
せいら「……なんでもないです」
あおい「り、理事長先生のサングラスも、ばり似合っとりますよ!」

あおいの全力フォローが、朝の堤防にやさしく響いた。


堤防には、ほかの釣り人が数えるほどしかいなかった。
足場は広く、柵もあり、初心者が始めるには申し分ない環境である。

まずは、仕掛けづくりから始まった。

あおい「じゃあ、まずは糸の結び方からいきましょっか。糸ばこう持って、輪っか作って……くるくる巻いていくとです」

あおいは、全員に見えるように、ゆっくり手元を動かした。

あおい「最後にキュッて締めて……はい、完成です。ここの締めるところは、水でも唾でもよかけん、ちゃんと濡らしてから締めてくださいね。摩擦で弱くなるけん、忘れんでください」
玲音「なるほど。摩擦熱の低減ですね」
ひばり「とりあえず形はマネできたッス!」
りりあ「くるくる楽しいのぉ〜♡」
せいら「ネイル外してくればよかった……」

仕掛けを結び終えると、いよいよそれぞれの準備に入る。

せいら「ねえ、“ルアー”ってやつ、本当に魚が釣れるの?だって偽物の魚でしょ?」
あおい「最初はそう思うとですよね。ちょっと足元で泳がせてみるけん、見とってください」

堤防ぎわに、あおいがルアーを落とす。
そして、竿先をちょん、と動かした。

光を反射した小さなルアーが、水の中でふらっと揺れ、次の瞬間、小魚のように逃げ惑う。

ひばり「うわっ、スゴッ!魚にしか見えないッス!」
玲音「これは……確かに“生き物らしい”挙動ですね……!」
みう「ぴょこぴょこしてますぅ〜♡」
りりあ「ちいさいおさかなさんなのぉ〜♡」

あおいは、少しだけ得意げに笑った。

あおい「こうやってちょこちょこ動かしてあげると、“弱っとる小魚さん”みたいに見えて、パクッて来るとです」
せいら「いやいや、そんなカッチカチのフィギュアが魚に見えるわけ……」

せいらが、ひょいっと堤防のふちから覗き込む。

せいら「……魚だわ」

あおいの口元には、ほんの少しだけ誇らしげな笑みが浮かんでいた。


そして、餌釣り組の玲音とせいらは、別の戦いに直面する。

玲音「……これは」
せいら「…………うわぁ」

二人の手元にあるのは、ダ◯ソーの釣りコーナーで見つけた“集魚剤漬け常温アサリパック”である。

買ったときは「ミミズから解放された」と安心していた。
だが、現実はそう甘くなかった。

せいら「見た目はまだギリ耐えられるんだけど、匂いが攻めてくるわね……」
玲音「ミミズやイソメよりは、だいぶマシ……と、言い聞かせるしかありませんね……」
せいら「こういうのも青春なの……?」
玲音「かなり磯寄りの青春ですね」

サビキ組の三人は、チューブタイプの撒き餌をカゴにニュッと注入していた。

ひばり「手ぇ汚れないの、マジ感謝ッス!」
みう「チューブ、神アイテムですぅ〜」
りりあ「ソフトクリームみたいなのぉ〜♡」
あおい「いやぁ、ダ◯ソーさん、ほんとやりますねぇ。ここまで揃っとるとは思わんかったです」

仕掛けもできて、いよいよ第一投。
サビキ組は足元から少し沖に向かって、ぽちゃん、と仕掛けを落とす。
カゴから撒き餌がふわっと広がっていった。

ひばり「よーっし……行ってこーい!」
みう「おさかなさん、ごはんですよ〜」
りりあ「おいしいごはん、ここなのぉ〜♡」


一方、ルアー組。

理事長は十フィート近い長い竿に、ひときわ大きなルアーをぶら下げていた。
振り子のようにルアーを揺らし、静かにタイミングを測っている。

ひばり「理事長、そのルアー、なんかデカくないスか……?」
理事長「このサイズのベイトを捕食できるフィッシュイーターにしか、用はないわ」
あおい「か、カッコよかですねぇ……!一回言うてみたか台詞です……!」
みう「どんどんフラグが積み上がってますけど、大丈夫ですかねぇ〜……」

ビュンッ

理事長のキャストは、豪快で、それでいて美しかった。
大きなルアーが、朝焼けの海へ一直線に飛んでいく。

続いて、あおいもやや軽めのルアーを、スパッと気持ちよく飛ばした。

玲音「……ルアーフィッシング、カッコいいですね」
せいら「いまの、スローで撮っておけばよかったわ……」


しばらくすると。

りりあ「……あれ?なんか、くいくいするのぉ〜?」

りりあの竿が、小さく震え始めた。

あおい「おっ、来とりますよ!りりあ先輩、ゆっくり巻いてください!」
りりあ「まわすのぉ〜〜!」

ゴリゴリゴリゴリ

あおい「そ、そげん一気に巻かんでよかです!ゆっくりで大丈夫ですよ〜!」
りりあ「ゆっくり全力なのぉ〜!」
ひばり「矛盾してるッス!」

なんだかんだで、無事に海面まで浮いてきたのは――キラキラ光るアジと、茶色い魚と、もう一匹小さめのアジだった。

りりあ「さんびきいっきにつれたのぉ〜〜!」
ひばり「うおっ、トリプルヒットッス!」
みう「すごいですぅ〜!」
玲音「初回から三匹同時……持っていますね」

あおいはすぐに駆け寄り、魚を確認した。

あおい「あ、茶色い子はカサゴさんですね。トゲが危なかけん、ちょっと待っとってください」

慣れた手つきでフィッシュグリップを取り出し、カサゴをがっちりつかむ。
それから、手早く針を外した。

あおい「このアジはよかサイズやけん、お持ち帰りでよかと思います。小さかアジとカサゴさんは、まだちょっとちいさすぎるけん、リリースしときましょか」
せいら「子どもは可哀想だから?」
あおい「それもありますけど、大きくなってから釣ったほうが、うれしかですもんね」
ひばり「太らせて食う、みたいな」
みう「言い方が残酷ですぅ」
りりあ「おおきくなってまた会うのぉ〜♡」
玲音「再会時には食卓ですが……」

小さな魚たちは、そっと海へ返された。

その後、せいら、玲音、みうにも、次々とアジがヒットした。

みう「わぁ〜い、アジさんですぅ〜!」
せいら「おお……手応え、ちゃんとあるわね。悪くないじゃない」
玲音「これは……なかなか知的好奇心を満たしてくれる体験ですね」
ひばり「ウチもそろそろアジ来るッスよ!流れ的に!」

そして、ひばりの竿先が小刻みに震えた。

ひばり「おっ、ウチも来たッス!」

上がってきたのは、ぷっくり膨らんだフグだった。

ひばり「フグきた!」
みう「フグって、ほんとに膨らむんですねぇ〜!“キュー”って鳴き声もかわいいですぅ〜」
せいら「魚って鳴くのね……」
りりあ「まんまるなのぉ〜♡」

その後も、ひばりにはフグが来た。
フグ、フグ、またフグ。

しかもそのたびに、鋭い歯で針がチョキンとやられる。

数投後。

ひばり「……針、全部なくなったんスけど……」
せいら「フグに完全敗北してるじゃない」
あおい「うわぁ、フグさんにやられとるですねぇ……。ちょっと竿、貸してもらってよかですか?」
ひばり「頼んだッス!」

あおいは残ったラインを確認し、予備のサビキ仕掛けを取り出す。
それから、手早くチャチャッと結び直した。

あおい「はい、これでまた行けますよ。今度はちょっと場所ばずらしてみましょか。フグさん多かところは、だいたい偏っとるけんですね」
ひばり「あおい神……!!」
あおい「神ではなかですけど、フグさんは避けたかですねぇ」


みんなの様子を、あおいはどこか嬉しそうに見守っていた。
そして、自分のキャストを繰り返す。

そのとき。

あおいのロッドティップが、コツン、と小さく入った。

あおい「……お」

軽くアワセを入れる。
次の瞬間。

グググッ……!

あおい「おっとっと……!」

ラインが走り、少し沖で魚がバシャッと跳ねた。

玲音「水面で跳ねましたね!」
せいら「さっきまでのアジと全然ちがう引きね!」

魚は何度か水面で暴れた。
だが、あおいは落ち着いて竿の角度を下げ、無理に引かずにいなしていく。

あおい「ええ子やけん、こっちまでおいで〜。無理せんでよかけんね〜」
みう「魚さんに話しかけてますぅ〜」

しばらくのファイトの末、堤防足元まで寄ってきた魚を、あおいが一気に抜き上げた。

銀色に光る魚体が、朝日を受けてきらめく。

あおい「はいっ……セイゴさんです。スズキの子どもですね。三十センチくらいやろか」
ひばり「おお!あおいっち、デカいの来たッスね!」
みう「ピカピカしててきれいですぅ〜」
りりあ「おおきいおさかなさん〜♡」
せいら「普通の一年生って、なんだったのよ……」

あおいのセイゴで、堤防のテンションは一気に上がった。

その矢先だった。

理事長の竿が、グン、と勢いよく曲がった。

ひばり「うお!?理事長!竿が!」

その声で、全員が振り向く。

理事長「――よし、食ったわ」

ジィィィィィィィィ!!

竿が満月のようにしなり、激しいドラグ音が堤防に響いた。
ラインが、一気に引き出されていく。

玲音「リールが逆回転しています!」
あおい「これ……青物やと思います!」
せいら「だ、大丈夫!?竿、折れそうよ!?」

理事長は、偏光グラスの奥で静かに笑った。

理事長「任せなさい。折れるのは――魚の心よ」
ひばり「なんかカッコいい名言きたッス!」
みう「理事長、今日ほんとに主人公みたいですぅ〜」

あおいがアドバイスを挟む余地もないほど、理事長のファイトは完璧だった。
魚が走れば、ドラグでいなす。
止まれば、少しずつ寄せる。
ロッドワークも、フットワークも、無駄がなかった。

ひばり「プロすぎるッス……」
玲音「本当に、何でもできますね……」
せいら「なんで畑では一撃で腰やったのよ……」
みう「向き不向きってありますぅ〜……」

約五分の格闘の末。

銀色の魚体が、ようやく足元まで浮き上がってきた。

ひばり「デカッ!?え、なんスかあれ!?」
玲音「体高が……すごい……」
あおい「ブリさんですね!タモ入れ行きます!」

あおいはドキドキしながら、巨大なタモを構えた。
理事長が魚を堤防際まで誘導する。

そして見事、ネットイン。

あおい「重か〜〜!お相撲さんみたいなごたあります、これ!」

タモごと持ち上げる腕に、あおいの力が全力で入る。
堤防に上げられた魚体は、丸太のように太く、八十センチをゆうに超えていた。

全員「うおおおおおお!!」
せいら「やばっ!!店でも見たことないサイズなんだけど!!」
ひばり「有言実行すぎるッス!!」
みう「クーラーボックス、大きくて正解でしたぁ〜!」
りりあ「りじちょー、つよつよなのぉ〜♡」

理事長は、偏光グラスを少しだけ上にずらした。
ほんの少し、得意げに微笑む。

理事長「ふふ。だから言ったでしょう?このサイズの魚にしか、用はないって」

せいら「今日の理事長、見たことないくらいカッコいいわね……」
ひばり「くっ……慰める会の準備、完全にムダになったッス……」
玲音「いえ。めでたい誤算です」


数時間の釣行は、あっという間だった。

アジ。
セイゴ。
そして、ブリ。

持ち帰る分は、理事長とあおいが手際よく締めて、クーラーボックスへ入れていく。
初心者五人は、その様子をどこか尊敬のまなざしで見ていた。

せいら「あおい……もう“初対面のふつうの一年生”って言ってた頃が懐かしいんだけど」
玲音「完全に“期待の大型新人”ですね……」
みう「お料理も楽しみですねぇ〜。アジフライと〜、お刺身と〜……夢が広がりますぅ〜」
りりあ「おさかなパーティなのぉ〜♡」
ひばり「ていうか、あのブリ、どうするんスか……。量、エグいんスけど」

あおいは釣り自体が久しぶりだったらしく、ニコニコ顔。

あおい「ふふっ。本当に楽しみっちゃんね〜」

こうして、おそと部初の堤防釣りは、
初心者向けとは思えない釣果で幕を閉じた。