#129
上等部散策計画、三日目。
前日までとは違い、この日は六人全員でまとまって行動することになった。
目的地は、上等部区画のさらに奥。学生が普段の授業で立ち入ることはほとんどない、研究施設の集まる一帯である。
校舎の案内図には、無機材料研究棟、生命環境研究棟、先端計測センター、共同実験棟など、名前だけでは何をしているのかよくわからない建物が並んでいた。
せいら「同じ学校の中なのに、空気まで違わない?」
みう「建物が、ぜんぶ静かですぅ……」
りりあ「秘密の研究をしてるのぉ〜?」
玲音「秘密の研究を案内板に書くことはないと思います」
あおいは端末の地図と、目の前の道路を交互に見た。
あおい「道はまっすぐなのに、建物の名前が難しかけん、もう迷いそうです……」
ひばり「昨日、ウチらだけ怒られたのに、今日は全員が迷子予備軍ッス」
せいら「自覚はあるのね」
研究施設周辺は、人通りこそ少なかったものの、散策用の道はきれいに整備されていた。
建物と建物の間には小さな緑地があり、研究成果を紹介するプレートや、用途のわからない金属製のモニュメントが置かれている。
玲音は案内表示を撮影し、みうは屋根のあるベンチを見つけ、せいらは無機質な壁面を背景に写真を撮る場所を探した。
ひばりは「ここ、白衣で歩いたら頭よさそうに見えるッス」と、研究とは関係のない情報を記録していた。
一方、あおいとりりあは、共同実験棟の前で足を止めた。
透明なケースの中に、青紫色の光を返す大きな結晶のようなものが展示されていた。
角度を変えるたびに、内部で細かな虹色が揺れる。
りりあ「きらきらなのぉ〜♡」
あおい「きれいですねぇ。これ、自然にできた石ですかね?」
りりあ「宝石かもしれないのぉ〜。売ったら、おやつ何個買えるかなぁ〜?」
あおい「学校の展示物を売ったらいかんですよ」
りりあ「半分だけなら?」
あおい「半分でもいかんです」
ケース脇の説明文には、人工結晶、結晶成長、光学特性といった文字が並んでいた。
あおい「人工ってことは、ここで育てたとですかね。石も育つんですねぇ」
りりあ「毎日お水あげるのぉ〜?」
あおい「畑と同じ育て方ではなかと思いますけど……」
二人は説明文を上から下まで読み、反対側から光を当てて眺め、ケースの裏に回り込んだ。
そして、満足して顔を上げた。
誰もいなかった。
あおい「……りりあ先輩!」
りりあ「ん〜?」
あおい「みんなおらんとです!」
りりあ「よくあることなのぉ〜」
あおい「よくあるとですか!?」
りりあはまったく慌てず、右と左を見比べた。
りりあ「たぶん、こっちなのぉ〜」
あおい「根拠はあるとですか?」
りりあ「みんなが行きそうな感じがするのぉ〜」
あおい(りりあ先輩と一緒なの……逆に不安になってきたったい……)
しかし、ここで立ち止まっていても仕方がない。
あおいは端末を取り出したが、研究棟の間は建物名が多すぎて、自分たちがどの通路にいるのか判別しにくかった。
その間に、りりあは自信満々で歩き始めていた。
あおい「あっ、待ってください!」
最初の角を右。
次の分岐を左。
細い渡り廊下の下を抜けて、なぜか搬入口の前へ出た。
あおい「絶対、学生が散策する道やなかですよね?」
りりあ「近道なのぉ〜」
あおい「どこへのですか!?」
さらに進むと、さっき見たはずの青紫色の結晶が、もう一度目の前に現れた。
りりあ「戻ってきたのぉ〜♡」
あおい「一周しただけです!」
二人が二周目へ入りかけたところで、遠くからせいらの声が響いた。
せいら「あおいーっ! りりあーっ!」
振り返ると、玲音、ひばり、せいら、みうが、二方向から挟み込むように走ってきていた。
みう「見つかって、よかったですぅ〜……」
ひばり「研究施設で遭難者が出るとは思わなかったッス」
せいら「二人とも、なんで元の場所に戻ってんのよ!」
りりあ「りりあナビが、一周したのぉ〜」
あおい「途中から止められんかったとです……」
玲音は安堵の息をついたあと、二人を静かに見た。
玲音「このあたりは誰も土地勘がないんですから、気をつけてください」
ひばり「校内で土地勘って言葉使うことある?」
予定は二十分ほど超過した。
それでも、屋根付き休憩所、静かな緑地、写真映えする研究棟の壁、一般学生も見学できる展示、雨天時に使えそうな連絡通路と、この日のノルマ五箇所はなんとか達成した。
ただし、結晶展示の横には、玲音によって新たな注意書きが加えられた。
『見学中にはぐれないこと』
四日目と五日目は、自転車での調査になった。
上等部区画には第一から第四まで四つのグラウンドがあり、それぞれが三種目ほどの競技に対応している。
第一グラウンドは体育の授業で使うことがあるため見覚えがあったが、その先は六人全員にとって完全な未踏の地だった。
校内貸出用の自転車を借り、四日目は二班に分かれる。
玲音、りりあ、ひばりの班。
せいら、みう、あおいの班。
前日の反省から、玲音とせいらがそれぞれ班長になり、出発前にマップアプリへ巡回ルートを設定した。
せいら「今日は勝手に曲がらない! 気になるものがあっても、まず班長に言う! いいわね!」
あおい「はい。昨日はすみませんでした……」
みう「わたしも、眠くなっても止まりません〜」
せいら「そこも心配してたけど、今日は自転車だから寝ないでよ!?」
反対側では、玲音がりりあの端末にも同じルートを表示させていた。
玲音「分岐では必ず私が先頭になります。りりあさんは中央、ひばりは最後尾をお願いします」
ひばり「完璧な迷子包囲網ッス」
りりあ「りりあナビ、今日はお休みなのぉ〜」
玲音「永久休業でも構いません」
二班は時間をずらして出発した。
第二グラウンドを過ぎるころには、校舎の密集した景色が遠ざかり、道の両側に木々が増えた。
風が制服の袖を抜け、髪を後ろへ流していく。
ひばり「うおーっ! 校内なのにサイクリングロードみたいッス!」
りりあ「風がきもちいいのぉ〜♡」
玲音「速度を上げすぎないでください。次の曲がり角を右です」
もう一方の班でも、せいらが先頭で髪をなびかせ、みうとあおいが続いていた。
あおい「この道、よかですねぇ。木陰がずっと続いとります」
みう「春と秋は、お弁当を持って走りたいですぅ〜」
せいら「いいじゃない。地図には休憩できる場所も入れておきましょ!」
第三、第四グラウンドは、それぞれ競技用の設備が違い、外周には観戦用の土手や小さな休憩所もあった。
二班とも迷うことなく予定のルートを走り、写真とメモを十分に集めて帰還した。
前日の迷子騒動が嘘のような、あまりにも順調な一日だった。
ひばり「ルートガイド、文明の勝利ッスね」
玲音「文明というより、事前準備の勝利です」
せいら「あたしの引率も完璧だったでしょ!」
あおい「はい。風も気持ちよくて、楽しかったです」
誰も転ばず、誰も眠らず、誰も消えなかった。
それだけで全員に達成感があった。
五日目。
最後は六人全員で、上等部区画の最外縁を一周する。
前日よりも距離が長いため、途中で何度か休憩を挟みながら、外周道路をゆっくり進んだ。
校舎は次第に遠くなり、フェンスの向こうには林や、学園所有の管理地らしい空き地が続いている。
あおい「ここまで来ると、学校の中って感じがせんですね」
ひばり「もはや県境ッス」
玲音「上等部区画の外縁です」
せいら「わかってるわよ。気分の話でしょ!」
外周の半分ほどを過ぎたところで、ひばりが急にブレーキをかけた。
ひばり「……待って」
全員が止まる。
少し先に、使われていない倉庫のような建物があった。
その裏手、道路からは植え込みで半分隠れたコンクリート壁のそばに、二人の学生が立っている。
一人が壁に背をつけ、もう一人がすぐ目の前にいた。
距離が近い。
あまりにも近い。
せいら「……あれ、何してるの?」
玲音「見てはいけない場面の可能性があります……!」
りりあ「お顔がくっつきそうなのぉ〜」
みう「ほんとですぅ……」
六人は自転車を押し、なるべく音を立てないように植え込みの陰を進んだ。
そのとき。
ひばり「ちゅーした!」
せいら「声! 声が大きい!」
あおい「ちゅーしましたね……!」
みう「これ以上は見ない方がいいですぅ……!」
そう言いながら、誰も視線を外さなかった。
壁際の二人は周囲に気づかず、さらに距離を詰める。
次の瞬間、一人が相手の横へ腕をついた。
ひばり「壁ドンきたッス!」
せいら「学校でそんなことまで……!」
りりあ「少女漫画なのぉ〜♡」
あおい「尊か……!」
玲音は撤退を指示するはずだった。
しかし、口を少し開いたまま、完全に見入っていた。
みう「玲音ちゃん……?」
玲音「……状況確認中です」
ひばり「何の状況ッスか」
ようやく理性を取り戻した六人は、その場を離れた。
玲音「偶然見えてしまっただけです。これ以上の観察は、散策計画の目的から外れます」
せいら「そ、そうよ! 別に気になってないし!」
ひばり「帰りもここ通るルートッスけどね」
全員が一瞬、黙った。
外周を一周し、帰路についたころには、夕方の光が建物の影を長く伸ばしていた。
例の倉庫裏が近づく。
ひばり「もういないッスよね?」
せいら「いるわけないでしょ。あれから結構経ってるんだから」
あおい「念のため、静かに通った方がよかですね」
植え込みの隙間から、倉庫裏を確認する。
ぱっと見、誰もいなかった。
みう「帰ったみたいですぅ〜」
りりあ「……下にいるのぉ〜!」
全員の視線が、少しずつ下がった。
コンクリートの上に、二人とも横になっていた。
ひばり「まだいた!!」
せいら「事態が進展……いや、悪化してる!」
みう「コンクリート、冷たそうですぅ……」
玲音「もう完全に見てはいけない段階です。撤退しましょう」
そう言った玲音自身が、動かなかった。
二人は寄り添い、片方の上着は少し乱れている。
もう一人の手が、相手のスカートの裾へ入りかけた。
せいら「服……ちょっと、スカートの中に手が!」
ひばり「実況しちゃってるッス!」
あおい「尊かぁ〜……!」
みう「尊いで済ませていい場面でしょうかぁ……」
りりあ「続きが気になるのぉ〜」
玲音「気にしてはいけません」
ひばり「玲音、目ぇそらしてないッスよ」
最終的に六人は、見てはいけないと言い続けながら、最後までしっかり見学した。
その結果、部室へ戻った時刻は予定を大幅に過ぎていた。
机の上には、五日間で集めた大量の写真とメモが並んでいた。
便利な休憩所。
静かな庭。
写真映えする壁。
雨の日に使える通路。
自転車で走ると気持ちのいい外周路。
そして、倉庫裏。
ひばり「ここ、地図に載せたら人気スポットになる可能性あるッスよ」
せいら「絶対ダメでしょ! あの二人のためにも、ほかのカップルのためにも!」
みう「静かに過ごせる場所では、ありますけどぉ……」
りりあ「デート向けなのぉ〜♡」
あおい「うち、見つけても誰にも言わん場所があるって、よかと思います」
玲音はしばらく考えたあと、倉庫裏の写真を未掲載フォルダへ移した。
玲音「マップには、載せない方がいいこともあります」
全員が深く頷いた。
五日間の散策で見つけた、もっとも秘密にすべき場所。
そこだけは、六人の記憶の中に、やけに鮮明なまま保存された。